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英語をしゃべれるようになり「たい」から解放されるには

· 英会話

こんにちは。

アキラです。

あなたに限らず、ほとんどの日本人の方が

「英語をしゃべれるようになれたらいいのになぁー」と思いながら

でも現実にはそうなれていない日々を過ごしていますよね。

で、もちろん、そうなるためにやるべきことをやっていないから

という突き放した見方もあると思うのですが

僕は少し違うんですよね。

それは僕自身の英会話に対する経験と

心理カウンセラーを目指すために自分がまなんだ心理学や脳科学のおかげだと思っています。

僕自身の英会話力が一番飛躍したのは、やはりアメリカに留学した時です。

で、その飛躍した要因って、必ずしも

「英語を聞いてしゃべる機会が多かったから」というだけではない

と思っているんですね。

じゃあ

何が大きな要因だったのかというと

「アメリカという国・文化に、自分が同化したから」

だと思っているんです。

もうちょっとわかりやすくいいますね。

僕が22歳でアメリカに留学した時、それは僕とって初めての海外体験でした。

「右も左もわからない」とは、まさにこのことだったと思います。

言葉はもちろんのこと、考え方、テレビ番組、食べ物、社会のルール、何もかもが違いました。

で、何が結局ツラかったかって、言葉が通じないということよりも

「自分がその国や文化に属していない、よそ者だ」という感覚

それが自分をものすごく孤独にさせたというか

不安にさせたワケですね。

平たく言えば「ホームシック」というやつです。

ある時から、いわゆる「ヤケクソ」モードというか

出川哲朗のはじめてのおつかい」モードというか 笑

そうなったワケで

そこから伸びたワケなんですが

それは、結局

なんだかんだ言いつつ、ある程度一定期間をその国に住んでいくうちに

その国・文化に自分が「慣れてきた」からなんだろうと思います。

「慣れ」というのはすなわち

自分はもうその国のメンバーだと

自分を認識し始めたということだと思っていて。

でそれは

別にかっこいい話でもなんでもなくて

そういう風に自分を認識しないと、いつまでも「よそ者」だと思っていると

いつまでも地獄だよ、と。ツラいよ、と。

本能レベルで自分がそう悟ったというダケの話だと思っていて。

だから、別にスゴいワケでもなんでもなくて

単なる「苦痛回避」なワケです。

一種の「前向きなあきらめ」です。

その「慣れ」の段階に入ると

別に「英語をしゃべれるようになろう」とかいう「願望」的なモードではなくなってきます。

その世界に自分がいることが「当たり前」なワケですから

その「世界」で心地よくいられるために必要な行動をただひたすら取るだけに切り替わってくるんですね、頭が。

そう

「その世界に自分がいるのが当たり前」という感覚。

これが、最終的に僕をペラペラにさせたポイントだったんだと思うんですね。

留学しても英語をしゃべれずに帰ってくる人

これはおそらく

現地にいる期間の短さもありますが

一番は、「現地の文化に自分を同化させずに、ずっとよそ者のままでい続けた」

からではないかと思っています。

僕が「アキラ式英会話」で

「理屈」ではなく「感覚」

「心を開けば英語は話せる」

と言い続けているポイントは、ここなんですよね。

つまり、英語を話せるように「なりたい」と言っている間は

英語というもの、外人というものが、

「よそ者」というか

自分にとっての「異物」なワケです。

でも、ある段階であきらめて、英語や外人、外国の文化というものに自分を「同化」させはじめると

もはや「なりたい」という願望のような感覚は消えていきます。

つまり、もうそこからは「努力」ではなくなるのです。

「努力」というのは、「今そうではない何かに将来なる」と思っている時にするものです。

つまり「今」は違うから、「将来そうなろう」として何かをやる状態です。

だから、「ツラい」のです。

でも

「今」の自分が、なろうとしているものに「同化」してしまえば

もはやそれは「努力」ではなくなるのです。

ある意味、前向きな意味で「そうせざるを得ない」というか「そうするのが当たり前だからそうする」

というだけの話になるんですよね。

だから、「精神的にツラい」ということはなくなります。

だって、「そうせざるを得ない」ワケですから。

例えば、駅まで徒歩5分の場所に住んでいて

駅まで歩くのを、「精神的な」負担とは思いませんよね?

肉体的には負担かもしれませんけど。

で、それも結局、「ま、歩くのは当たり前」と思って歩いているうちに

どんどん肉体的な負担も少なくなるわけです。

その「同化」の感覚は、結局、

ある一定期間、自分をその環境に浸す、慣らすことでしか訪れないように思うのです。

なぜなら、結局今とは違う自分になるということは、今とは違う何かに触れ続けることになるワケですから。

最初のうちは違和感があるに決まっているワケです。

僕が「アキラ式英会話」で、「字幕なしで見る」ということを提唱したり、「教材ではなく海外ドラマを見る」ということを勧めたり、「とりあえず、できなくていいから外人さんと話してみる」というところに力点を置くのは、

この「外国文化に自分を慣れさせること」を重視しているからです。

だから、やっててわからなくても、できなくても、全然いいのです。

大事なのは、「英語・外国文化」を「自分にとって異質なものでは無い」という感覚に持っていくこと。

一旦そのモードになってしまえば、

それが「当たり前」になってさえしまえば

後は、その「当たり前」の状態で自分がより居心地がよくなるように、必要な行動を「勝手に」取るようになるのです。

それが

アキラ式英会話で言っている

「英語をしゃべれるような自分になる」

という考え方なんですね。

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